
息子と歩んだ二十八年間
吉田美知子
北海道
昭和四十一年十月八日、二男が誕生。予定日より一ヵ月も早い出産で、体重が一三六〇グラムしかなく三ヵ月間、保育器に入りました。その間、生死と戦うことが幾度もありました。オッパイは鼻から管で入れ、具合が悪いと小さな身体を震わせて泣くというよりも、声を出すだけが精いっぱいでした。そんな状態が何日も続いたのです。
個人病院で息子と一緒に二十日間過ごした後、息子だけ総合病院へ移りましたが、医師からは、「命の保証はできません」と告げられました。私一人だけ家へ帰りましたが、不安の余り、悪いことばかりを考えてしまう毎日でした。
そのころは、新得町から帯広までの交通手段は汽車が主で、一時間はかかりました。年子の長男を抱え、私自身の体調もすぐれず、息子の容体を見に行くことも容易なことでなく、知
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